ブログのデザインを変えてみました。なるほど…思ったよりはカンタン?
その昔自分のHPを作ろうと思ったことがあるんですが、HTMLに粉砕された記憶。それでもちょっとだけいじってたとは思うんですけどね。
上手く理解できなくてケータイサイトを運営してた気がします。
…あいつ今もネットの海に漂ってんのか…????
目が疲れるので出来る限り真っ白背景じゃなくしたいんですけどうまくいかない…困った。記事の背景はまだ真っ白ですよね。
記事の背景は個別の記事投稿時にいじれるのかしら?一括変換できないものか。
他人の失敗を許さない国
さて、本日のタイトルである失敗の話。
今回私はブログのデザインを変えましたがそれが成功か失敗かはさっぱりわかりません。
というよりブログの成功、とは…?って考えると…読んでくれる人が増えることかしら?
今のところ気ままに書いているだけなんですが見てくれる人がいるみたいでありがたいことです。
ちなみに一番アクセスが多いのがOfuse運営さんの関係ですねー。関係者の方なのかしら?
話が脱線しました。
失敗の話に戻りましょう。
ツイッターで見かけた外野がうるさい話
先日Twitterを見ててこんなことがありました。
・BさんはAさんのイラストのファン
・BさんはAさんのイラストと似てる雰囲気のイラストを描く
・Aさん「Bさんはトレス!パクリ!絶対許さない!!」
・Bさん「参考にはしたけどトレスはしてません」
・Aさん「公に謝罪して!イラスト全部消して!!」
・Bさん「頑張って説明したけどマヂ無理ブロックしょ…」ブロック&鍵垢移行
・Aさん「はー?ありえない!!こんなことあったんです拡散希望!!!」
・外部の人間「雰囲気似てるけどトレスってほどじゃない」「あなたのイラストもこの絵に酷似してるのでトレスですね?」
・Aさん「すみませんでした」
・外部の人間「ファンの心を傷付けるとかありえない」「ちゃんと謝罪したんですかー?」「垢消せよ」
・Aさん垢消しへ
一連をリアルタイムで見ていたわけではありませんが、実際にイラストを見た感じトレスとは言えない感じですね。あの程度なら誰でも似ちゃう。
まぁそのトレスの「あった」「ない」を言いたいわけではなく。
Aさんの対応はかなり間違っていたものだと言えるでしょう。
似ている絵をUPされることがAさんにとってかなりのストレスになったとしても、やっぱりそれを言うのはお門違いだったと思うんです。
ましてや周囲に拡散して「Bさんはトレスをする卑怯者!」みたいに同調圧力を使おうとしていましたし。
この二人のやりとりであれば、Aさんが悪い、と私は判断します。
そっからですよ。
なんでAさんが垢消さなきゃいけないの?と。
間違っていることをしたら責任とって今まで思い入れのあったはずの自分のTwitterの歴史全部消さなきゃならんのか?と。
人によっては「絵師やめろ、筆を折れ」なんて人もいました。
普通に「なんでだよ?」と思います。
人間間違いを犯さないなんてことはまず無理です。
人に迷惑をかける失敗も、自分が恥をかく・損をする失敗も絶対やらかします。
やらかしたときに、責任をとる必要があります。
垢消しは責任をとることなんだろうか、と純粋に思うんです。
私からすると垢消しよりも、わーわーがーがー煩い外野がいるなかでそのアカウントのままイラストをあげる方がよっぽど禊になると思うんです。
勿論、わーわーがーがー煩い外野自体が害悪なんですけどね。皆ストレスたまってんなぁ…。
でも、今回Aさんが本当に申し訳ないって気持ちがあるなら、誠意を見せる気持ちがあるなら、アカウント移動しても、アカウント自体は消しちゃいけないと思うんですよ。
特に、当該ツイートは。
勿論Bさんを晒しあげたツイートは消してもいいと思います。
そうじゃなくて、自分の醜い部分を見つめなおす、自戒という意味でBさんを貶めていたツイートなんかはとっておいた方がいいと思うんですよね。
それから。
外野。うるっさいですよね。いきなり失敗した人相手に群がってわーわーがーがーわめいてて。
いや、Aさんが悪いことをしたという見解は私も一緒ですよ?だからといってなんで外野が垢消せだのクソ絵師だの言えるのか。
私個人は絵がかけない人間なので、絵を描ける人全員すごい努力している人、という印象があります。Aさんの絵もちょっとアンニュイな雰囲気が漂う素敵な絵でした。
そういう…そこまで絵が描けるようになった努力を踏みにじる権利あなた方にないじゃないですか。
言っていいとしたらBさん本人では?と思うわけです。
何故外野はうるさいのか
ただ、今回の件に限らず外野ってめちゃくちゃ煩いですよね。
お前どこのだれだよ?って人からガンガン言われること多いです。
失敗した相手なら叩いてもいいって心理なんでしょうか。
一度犯罪をしたら、一度間違いを犯したら、こんな風につるし上げられれて表舞台にはいけなくなる国、日本。
これって、未来があるのかな、と思います。
自分の身に置き換えると「失敗をすればどこからともなく色んな人がやってきて叩かれる」ってことなんですよね。
それなら「挑戦なんかしない。流されるままに生きて失敗しない人生を送ろう」ってなりません?
それも選択の一つですが、挑戦をしない人生って可能だと思えないんです。
それこそ受験に就職活動に、資格試験にと挑戦の機会はいっぱいあります。
そうじゃなくても、例えば「~~って仕事やっといてね」って言われても失敗することだってあります。
なんだかなぁ…。
間違いを正すことと、間違いを許さないことは全然違う、と感じましたね。
とりあえず外野がぶーぶー口を出すのはおかしい、という気持ちでいっぱいです。
外野の声を聴かないという選択肢
他人の声に耳を傾けすぎると疲れてしまいます。
ちょっとずつでいいから、みんなが他人にいい意味で無関心な国になるように私も他人の失敗に無関心でいたいと思う今日この頃です。
だって、私の生活は何も脅かされないわけですしね。
前向きな無関心というのもありなんじゃないかと思います。
2018.01.10追記
こんな記事を見つけました。
一度の間違いで、ここまで追い詰められる人もいるんですよね。
飲酒喫煙…様々な間違いがありますが、もう少し他人の失敗に無関心な国ならいいのにな…。