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今日のお話は国木田独歩です。
見た感じお髭がチャーミングな結構イケメンな気がします。
写真、影武者とかじゃないですよね?
正直なところ、小説家というよりはジャーナリストという印象が強い彼です。
ゲーム中のセリフとかがそんな感じなんで。
国木田独歩と銀色
ちょっとした小話をツイッターで耳に入れたので掲載。
「銀色」ってね、国木田独歩の造語なんだって。国木田独歩が「銀色」って言葉を作ったんだって。「お前の目、よぉく見ると銀色なのか。……へぇ綺麗だな」みたいな尊さ大爆発の台詞……国木田独歩がいなかったら生まれなかったんだって。国木田独歩に大感謝雨あられだな。
— swenbay (@michaelsenbay) 2018年3月4日
出典は日本国語大辞典だそうです。
オンラインでは流石に見つけられなかった…探し方が悪いんでしょうか。
ロマンチストと名高い彼なら、この話もなるほどって思ってしまいますよね。
そんな彼の愛したものについて見ていきましょう。
国木田独歩とアイスクリーム
国木田独歩はかなり早逝です。
36歳という若さでこの世を去りました。
彼の死因は結核。
病に蝕まれた彼が最後に「食べたい」と言ったのは
アイスクリームでした。
日本初のアイスクリームは明治の初期の頃。
明治35年には東京でアイスクリームが15銭で売られるようになりました。
彼が亡くなったのは明治41年。
その頃には、アイスクリームはかなり流行っていたのでしょうね。
死に際に「アイスクリームが食べたい」と言った彼ですが
看護婦が用意している最中に喀血
そして、帰らぬ人となりました。
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国木田独歩と月琴
月琴は中国から伝わってきた楽器です。
19世紀前半に長崎に伝わり、江戸時代から明治時代にかけて流行しました。
見た目的にはまん丸なギターといった感じでしょうか?
リュートというとしっくりくる方もいらっしゃるかもしれませんね。
日本では芸者さんを中心に広まりましたが
明治中期頃には貧乏書生さんたちの日銭稼ぎにも利用されていたようです。
編笠に白袴、月琴を片手に法界節を歌っていたとか。
国木田はロマンチストな人として知られているようで、そういった流行にも敏感だったのでしょうね。
国木田は明治24年に21歳で今の早稲田大学を退学。
両親が暮らす山口県の故郷に帰郷した折にも
傷ついた心を癒すように昼は野山の散策や、釣りを楽しみ
そして夜には月琴の音色に響かせるといった生活をしていたそうです。
同年10月。
吉田松陰ゆかりの地へ移り住むと若者たちに色んな学問を教えます。
英語、数学、作文など、精神教育を施そうと奔走しますが
そんな血気盛んな忙しいときでも、夜は月琴をつま弾いていたのだとか。
「ワーズワース詩集」と出会うのはそれからほどなくしてのことです。
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良かったら見てくださいね。